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朱の空に堕つ ― 彷徨

今回は律花のお話です。
前回の話からだいたい2・3日後です





 

◆◆◆



 妹と祖父の間に口喧嘩があって数日。
とりあえず奏恵はあれから祖母と律花が宥めた甲斐もあり、機嫌は直ったようで祖父とも普段通り挨拶をし、普段通り会話をしていた朝の風景を律花は思い出す。
 
奏恵は典型的なB型で、気にしない事は本当に気にしないのだが、一度気に食わないことがあると大層根に持つのだ。
それをネチネチと口にしない事は評価してもいい点なのだろうが、近いうちに祖父と再戦がありそうだ、と嫌な未来予報が脳裏をよぎった。
同時に、それが今日帰宅した時に再現されてなければいいなと言う期待も一緒に。
 
 日が傾き始めたお陰で、髪を撫でる風は少しだけ涼しくて気持ちがいい。自然と家路に向かう足取りは軽くなった。
一年以上登下校で歩き慣れた道は、今日も変わらない。友達とは駅で別れたので、今は駅からの道のりを一人で歩いていた。友達と帰るのも楽しいが、たまに一人で帰るのも気楽でいいものだ。
 

 時刻は夕暮れ。
焦げ茶の律花の長い髪の色も、この時間帯の光を浴びると自然と燃えるような鮮やかな色となる。
 
そ知らぬ顔で日は傾き、空が朱色めいていく。日中高い位置にあった太陽がアスファルトを容赦なく焼いていたので、太陽に睨まれなくて済んだ人工の地面達がため息のように熱を吐き出す。
そんな物憂げな地面は、何となくだが日中と変わらず熱い気がした。
 
……  そう、  普段よりも今日は熱い気がしたのだ。
 
 ふと、風に髪を遊ばれ、律花の視界が己の燃えるような色の髪で遮られた。
本当にほんの一瞬だった。だと言うのに、髪が重力に従って本来の位置に戻った時、信じられない光景が目の前にはあった。
 
律花の歩く道の少し先、10メートル程先だろうか。そこに、日中の暑さを彷彿とさせる熱源体があったのだ。
 
「何の…冗談よ」
 
 その熱源体を視認して、頭は目の前の生物を表す言葉を探したのに、そんな陳腐な言葉しか出なかった。
 
律花の目の前に立ちはだかっていたのは2メートルは有にある、大型の四足獣。
猫、と言うには獰猛な、ライオンやトラと形容するに相応しい、雄々しい獣がそこにいる。しかし、その似た動物の名を律花が口にしなかったのは、その獣が炎を纏っていたからだ。

炎々と燃える焔は、まるでその獣の体毛のようであり、その赤は目が離せないほどに美しく、全てを焼き付くすかの業火。
絵本やゲームの、現実ではありえない生物が目の前にいたのだ。
 
「あ…」
 
 今、この道にいるのは律花と獣だけ。住宅街の一角のこの道は、帰宅ラッシュの時間だと言うのに、ナゼか今日は人通りがない。両脇の家からは団らんの灯火が陽光の一部として届くのに、家から人が出てくる気配はなかった。
 
 まるで蛇に睨まれたカエルのように、自分の足は動かず、声を紡ぐこともままならない。
いや、確かに今は恐怖で上手く自分の体は動かないけれど、最初にそうさせたのは目の前の獣への恐怖ではなく、恐怖を感じた自身の防衛本能だった。
目の前の獣は自分が下手に動けば襲いかかって来るかもしれない。混乱を極めた頭の片隅で、少しだけ冷静な自分が自分にそう警告した結果だった。
 
 ちら、と横目で脇道を確認する。
先ほど通り過ぎた脇道まで、5歩と言ったところだろうか。腰を少しだけ落として、ジリと足を地面から離さずに、本当に少しだけ後退する。
冷たい汗が頬を滑り、服の中へと落ちていった。口の中が異様に渇く。心臓はこんなにも早く脈打つのかと思うほどに、大きな心音が耳を打つ。

 
 全身が逃げろと警鐘を鳴らしている。
 
逃げなければ、自分はあの獣に食い殺されてしまうだろう。それだけは確信に近い感覚がそう訴えていた。そして、それは間違いではない。
現に目の前の獣から放たれる空気はピリピリと痛く、獲物を逃がさないと言うようにその焔を宿した眼は律花を捉えていた。

 
 タイミングは一度のみ。失敗すれば、それは相手に自分の喉元をさらす行為になる。けれど、もう悩んでいる時間はない。目の前の獣は、律花を逃がす理由がないのだ。気が短ければ今、この瞬間にも獣は飛びかかってくるだろう。
 
そう思考が至った時には、律花は地面を蹴っていた。
背中を見せれば飛びかかられるのは、獣の殺意から見れば嫌でも分かる。だから、転がるように身を屈めながら脇道へと滑り込んだのだ。
 
幸いにも、自分の判断は間違っていなかったらしく、屈んだ頭の上を獣の咆哮が通りすぎた。どうやら頭を噛みきろうとしたようだ。
背中を冷たい汗が伝う。その冷たさが、まだ自分は無事だと実感させてくれる。しかし、その冷たさは生きている証以外にも、悲しくもこの状況が打破されていない事実も突きつけた。
 
 どうにか体を捻って受け身をとりながら、道を横に転がり、獣との距離を離す。
響と一緒に自衛官で武術者の祖父から護身術や受け身を習っていて助かった、と心の中で片割れの兄と祖父に感謝をしながら、そのままどうにか上体を起こし、獣と自分の位置を把握しようとする。
 
 これが対人なら、もしくは普通の獣相手ならば、もう一度逃げるチャンスを得られていたかもしれない。
だが、律花の目の前に洗われた獣はそれすらも許さなかった。
 
 眼前に迫るのは、獣の大きな鉤爪。
 
(避けれない  ― !)
 
 目の前に迫った死の宣告に、律花は思わず身を守ろうと腕を身の前にかざした。


 
 痛みが来ると覚悟した瞬間、来るべき痛みよりも先に律花の鼓膜をゴウっと言う風の音が遮った。
驚いて、咄嗟に顔を守ろうとかざした腕を少し下ろすと、炎の熱が自分の頬をなぞったのだ。
 
獣の炎が移ったのかと慌てて自分の体を確認するが、どこにもそんな様子はない。安堵しようとするが、炎を纏ったあの獣の低い威嚇の声に自分の置かれている状況を思い出す。

 
 何が起きたのか分からなかった。
 
先ほどまで目の前の獣は自分を獲物だと認識し、狩る事を前提に睨んでいたのに、今はどうだ。同じ獣を警戒するかのように低い姿勢で警戒したまま、律花を見て唸っている。
 
誰か助けに来てくれたのかと思ったが、視界の範囲内には人一人いない。
戸惑い、逃げることも忘れて呆然とする律花の目の前で何かに気がついた獣が動く。襲いかかってくるのかと思いきや、そのまま身を翻し先ほどまで自分達がいた路地の方に去っていってしまった。

 
 その場に取り残された律花はぼんやりと、今、自分に起こったことを頭の中で推理しようとするが、あまりに突拍子のない、非日常的な出来事に思考はまとまらない。
 
そういえば、あの獣は何故自分を殺さなかったのか。そんな事を考え始めようとすると、ふと頬が痒くなって指で頬を掻こうとして気がつく。
 
指先に赤い液体、血がついたのだ。
 
「顔…いつの間に切ったのかしら」
 
 一人呟き、鞄の中からコンパクトを取り出して傷の具合を見る。
怪我自体は単なる擦り傷だったのだが、米神辺りを地面で軽く擦ったらしく、垂れるくらいに血が出ていたのだ。
 
今はほとんど止まっているので、手持ちのハンカチを飲みかけのミネラルウォーターで湿らせて血を拭う。
 
獣がいなくなってから数分は経つ。さすがにもういないだろうと、律花は鞄を持ち直し、服についた砂と埃を叩いて立ち上がった。しかし、元来た道に戻る気がしなくて、そのまま逃げ込んだ路地から帰宅ルートと考えつつその場を後にする。


 
 考え込んでいた律花は知らない。
彼女が地面に落とした彼女の血が、急に小さな炎を上げて燃え尽きたこと。
 
そして、その光景を見下ろす視線があったことに。




 
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咲宮 奏恵・律花・響
性別:
非公開
自己紹介:
響兄、律花姉と奏恵妹のゆるい日常日記だったり仮プレ置き場です。
たまに出てくる保護者兼、PLは「嘉凪 さと」と言う謎の人物。

TW2、TW3にも同背後がいますが、そちらからのリンクは現在は貼ってません。

■無用なヒント
TW2:背後の名字と同じ姉弟、忍者な女の子、引退した人
TW3:おっさん、天然元気女子、麗人騎士王子、あっさり系姉さん

TW4>>TW2>TW3の頻度で遊んでるはずです

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